1957年、1959年、1961年に糸魚川地方で言語地理学的調査をする。
その集大成が糸魚川言語地図(上・中・下)として1995年に完成した。
日本の方言研究にとっては本格的な方言地理学的な初めての調査であった。調査には柴田 武のほかに同じ研究室の研究員だったW.A.グロータース、徳川宗賢の3人で始め、後に馬瀬良雄が加わったが方言地理学の調査方法の具体的手法はグロータースに指導をうけた。「糸魚川言語地図」は全3巻であるが、巻ごとに地図収・解説編・英文解説編・データ集の4冊から構成されており、下巻には索引編もつけた。データの地図化にコンピュータを利用しデータの処理に正確さを増し、複数の項目の総合図を容易に作れるようにした。上・中・下巻に納められている932枚すべての地図をCRT上に表示するデータベースソフトも付録にした。
「糸魚川言語地図」の下巻に付録で付けた地図表示プログラム「LGMAP」は全3巻に納められている932枚すべての地図をCRTに表示するデータベースソフトです。地図集のページから地図を選択することはもちろん地図タイトル(和文、英文、仏文)から選ぶこともできます。さらに凡例で採用された語形から地図を選び出すこともできますから選んだ語形が凡例に採用されている地図を次々とCRTで観ることも可能です。また、下地となる地図が同じであればある地図と他の地図を重ね合わせることができますから分布の違いを検討するのに役立つと思います。重ねることのできる地図は最大7枚です。
(プログラム作成が1995年であるため WINDOWS XPまでは動作確認済みですがそれ以降には対応できていません。地図ご希望の方は、ご入用の地図を指定下されば、bmpファイルにしてメールでお送りします。)
1949年創立間もない国立国語研究所の所員となってから1955年に地方言語研究室主任となり「日本言語地図」作成のための調査準備を始め1956年には文部省在外研究員としてトルコ共和国およびベルギー王国に出張。この際にベルギー王国を中心にオランダ、ドイツ、スイスにおける言語地理学の歴史と現状について情報を集めた。1957年には「日本言語地図」作成のための全国調査をはじめる。調査完了までに8年かかる。調査が終了しいよいよ作図に取り掛かるところで東京外国語大学教授としてアジア・アフリカ言語文化研究所に移ることに成る。
1955年に「日本言語地図」作成のための全国調査を始めるにあたって、調査地点を日本全国で何地点どのように選び出したら良いのか柴田武は責任者として苦慮していた。
そこで方言調査基礎図の作成目的で地点の数、バラマキ方について何らかの根拠を得るために、調査員が知らない地域で、東京からあまり離れていない地域として糸魚川を選んだ。
ここは東西両方言の境界地域であり、狭い地域であってもほかの地域より方言差が著しく多いだろうと言う期待もあった。
糸魚川は方言分布調査にとって絶好の地域だった。四方のうち一方が海、一方が1000メートル以上の北アルプスの山々で交通・コミュニケーションが閉ざされている。糸魚川地方の内部について、外から何が入ってきて、うちで何が起こったかを観察するのに都合がよくその上、海へ向かって何本もの川がほぼ平行して流れいずれも深い谷を作っている。そのうちの一本は上流でどんづまり。つまり、コミュニケーションの止まるところとなっている。言葉が川をのぼる状況、言葉が上流に吹き溜められる事情が良く見えた。