日本の言語学者、国語学者。愛知県名古屋市生まれ。方言地理学、社会言語学などの研究を続け、新明解国語辞典や類語大辞典の編纂にも従事した。長い間放送用語委員会の委員を務め、NHKテレビ「日本語再発見」にも出演し、1985年NHK放送文化賞を受賞。旧制第八高等学校(現在の名古屋大学の前身)時代の数学の教授 椎尾?に影響を受け国字ローマ字論を推進したひとりであり、財団法人日本のローマ字社の理事長を長らく務めていた。晩年は日本語に関する一般向けの書籍も多数執筆する。
生誕100年誕生日(2018.7.14)直後の23日から27日にリトアニアのVilniusでthe 9th CONGRESS OF THE INTERNATIONAL SOCIETY FOR DIALECTOLOGY AND GEOLINGUISTICSが開催され最終日に”Bridging East and West: Grootaers、Sibata adn Beyond”と題するワークショプが開催された。秋には金沢大学に留学していた崔 蒙さんに依る中国語版「言語地理学の方法」が出版された。
太平洋戦争終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼル[1]による発案で、日本語をローマ字表記にしようとする計画が起こされた。そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は当時東大の助手だった国字ローマ字論者で言語学者の柴田武に全国的な調査を指示した。これは、日本初の「無作為抽出法」の大規模な実施であり漢字テストの出題をし統計数理研究所研究員の統計学者だった林が被検者のサンプリングを行った。1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね、日本語のローマ字化は撤回された。NHK総合テレビジョンで2010年に「みんなでニホンGo!」と言う番組の第18回、第19回のなかで「日本ローマ字化計画」として放映されたこともある。
1949年創立間もない国立国語研究所の所員となってから1955年に地方言語研究室主任となり「日本言語地図」作成のための調査準備を始め1956年には文部省在外研究員としてトルコ共和国およびベルギー王国に出張。この際にベルギー王国を中心にオランダ、ドイツ、スイスにおける言語地理学の歴史と現状について情報を集めた。1957年には「日本言語地図」作成のための全国調査をはじめる。調査完了までに8年かかる。調査が終了しいよいよ作図に取り掛かるところで東京外国語大学教授としてアジア・アフリカ言語文化研究所に移ることに成る。
柴田武は1957年に糸魚川地方でW.A.グロータース、徳川宗賢と共に言語地理学的調査を始める。1959年、1961年にも繰り返し調査する。
糸魚川言語調査で永年お世話になった糸魚川市に晩年になって自身の著書を全部で46冊寄贈した。
これらが市の図書館で蔵書として管理され糸魚川市民図書館と青海図書館で貸出可能となっている。
糸魚川市民図書館:
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